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中川翔子さんからあなたへ

少し違う風が吹く日まで
責めずに「隣る」こと続けて 中川翔子

中川翔子さん
中川翔子さん

タレントの中川翔子さん(36)が、ひきこもりの当事者しかわからない胸の内を語ってくれました。「隣る人(となるひと)」(※)が1人でもいてくれること、いつか少し違った風が吹く日が来るのを待つこと、30代になってから心が軽くなったこと……。大切なキーワードをたどりながら、一緒に考えてみませんか。

※隣る人:2011年に公開された児童養護施設を撮ったドキュメンタリー映画のタイトル。中川さんが2019年に出版した『「死ぬんじゃねーぞ!!」いじめられている君はゼッタイ悪くない』では、絶妙な距離感で見守り、寄り添い続ける存在としています。

心のダメージは人によって違う

――中学生のころにひきこもられていたそうですが、どのような日常でしたか。

人間関係がうまくいかなくて中学校へ行かなくなりました。いじめも多様化しています。「些細(ささい)なこと」と言うかもしれませんが、心のダメージの受け方は人によって違います。私は学校でものすごくしんどい立場になっていました。
母親には学校でうまくいっていないことを知られたくなかったので、理由もいわずに自分の部屋に鍵をかけていました。昼と夜が逆転した生活で、ずっとインターネットをしていました。
未来のことを考えるのも怖くて、何も考えたくない、もう消えてしまいたい、という気持ちでした。嫌なことを思い出さないようにするため、明け方までインターネットをしている時間が救いでした。
それでも私の場合はラッキーでした。クラスでは浮いちゃった存在でしたが、学校の中に私を理解してくれる人がいたから、その子と同じクラスになってからは何とかなりました。

「隣る人」になる勇気

――「理解してくれる人」と他の同級生は何が違ったのでしょうか。

その子は、「スクールカースト」の上位の人たちと普通に話せたり、みんなから慕われたりしていました。でも、私ともずっと一緒にいてくれました。
ある日、私の靴箱の扉がへこまされていました。私はその子に見られたくないと思っていましたが、見られてしまいました。けれどその子は私の心をえぐるなんてことはなく、一緒にいてくれました。趣味の話をしていても、他の同級生からは「オタク」や「変な人」に見られがちでしたけれど、その子は周囲を気にしないで「そうなんだね」と言ってくれたのでありがたかったです。
「隣る人」と言う言葉がぴったりな子で、2年前にいじめに関する本を書くとき、「どうして一緒にいてくれたの?」とやっと聞くことができました。「別に……。楽しかったからだよ」ってさらっと言ってくれてびっくりしました。「私と一緒にいることで損をするし、周囲からいろいろ言われたよね?」と聞いたんですけど、「私には吹奏楽部という居場所があったから、何か言われていたかもしれないけど、別に全然」という言葉が返ってきました。
いじめって悪口から始まるし、それは子どもだけでなく大人もそうですよね。流されないでいてくれたことはすごくありがたかったです。大人になって本音を言えるようになって、やっと感謝の言葉を伝えることができました。

中川翔子さん
中学生時代の「隣る人」にやっと感謝の気持ちを伝えられたのは30代になってからだった

心のシャッターを閉じた瞬間

――中川さんはひきこもり状態になったきっかけとして、学校の靴箱から靴がなくなって教師に相談した際、代わりの靴を出してきて「ローファー代を払いなさい」と言われたことにショックを受けたそうですね。今振り返ると、どのように対応してほしかったですか。

泣いたら負けだと思って勇気を出して先生に話してみたら泣いちゃって……。話してよかったと思っていたところに、「じゃあ、ローファー代払って」とさらっと言われたので、「ああ、やったもん勝ちでやられた被害者はこんなことになるんだ」「大人は信じられない」と思って心のシャッターを閉じました。そこからはこんな場所に行ってもしょうがないと思って卒業式も行かなかったですね。

ネットのいじめは24時間逃げ場がない

――相談したときの一言で心のシャッターを閉じてしまうこともあるのですね。

10代のころって、ガラスみたいに繊細で透明なので、ひびが下の方まで入ってしまっている状態のときに、大人っていう絶対的存在がどういう言葉を使うかで、一気に底までひびが入ってしまうことがあるんじゃないかなと思うんです。思春期の心のバランスが悪い子に寄り添ってくれる、ちゃんと客観的にみてくれる、そして被害者に寄り添ってくれる大人が学校にいてほしいです。
学校で直接悪口を言われていることもしんどいですけど、インターネットを使ったいじめは何を書き込まれているかわからないので24時間逃げ場がないんです。私だったら耐えられなかったかもしれません。

中川翔子さん
大人っていう絶対的存在がどういう言葉を使うかで、一気に底までひびが入ってしまう

「やっと息が吸える」という感覚

――ひきこもり状態から少しずつ前に進めるようになったきっかけを教えてください。

母が通信制高校を探してくれました。ヤンキーみたいな人やいじめられていた人、ひきこもっていた人がいっぱいいて、ひとりで生きていこうという感じでした。私が絵を描いていたらヤンキーみたいな人が「うまいじゃん」と声をかけてきてびっくりしました。その一言がきっかけで「ああ、やっと息が吸えるかもしれない」と思えるようになっていきました。
環境が変わると人との出会いも変わります。干渉しすぎないところ、風通しがいいところが良かったですね。気分が乗らず学校までたどり着けなかった日も、途中で本屋さんに寄って本を買って読んでいました。それが許される学校だった、ということが心にゆとりを与えてくれました。

「またね」の3文字が明日へつながった

――ひきこもり状態になったとき、描いていた人生のレールから外れるとか、同級生から遅れをとってしまうという感覚や焦りがあったのですか。

すごくありましたね。「もうダメだ」「普通の人と同じことができない」「もう終わった」と思っていました。私は芸能活動が夢だったけど、性格的に全然合っていないし、何をやっても上手くいかないんだなという負のスパイラルで考える癖がついていました。
「どうせ私は期待すると落ち込む結果になるから」と考えるようにして、18歳までは消えたいな、死にたいなと思っていました。芸能活動を辞めようと思っていたときに、たまたま出会えた憧れの人に、「またね」って言われて、その3文字にすごく救われました。生きていればまた会えるって。

中川翔子さん
負のスパイラルで考える癖がついていました

母の号泣でも動かなかった私の心

――中川さんの家族はひきこもりについてどのように考えていましたか。

うちは父親が亡くなっていて、母親が働いていました。いじめがあったことをあまり話せなかったですね。
私が死のうと思っていたときに、たまたま通りがかった母親が止めてくれました。何があっても涙を見せずにずっと働いていた母親がすごく泣いていました。それでも私の心はどうしようもなくて……。
母親は「働きなさい」と強く言うことはありませんでしたし、友だちみたいに接してくれていたので息抜きになっていました。これも「隣る人」ですね。

過去が黒歴史だけじゃなかったと思えるとき

――人生の中で、誰にでも山もあれば谷もあります。一時期ひきこもり状態であったことを、社会はマイナスイメージで捉えるべきではないと思います。

実は、みんなまじめに生きていてもつらいこと、理不尽なこと、傷つけられることがある。それでもみんな生きている。苦しんでいる当事者は他人のことを考える余裕もないし、他人は他人となってしまいますよね。
生きることをやめないこと。ほんの少し違う風が吹く日がくるときもあります。私も、あのとき死ななくて良かったとやっと思えたのはかなり大人になってからでした。
過去が黒歴史だと思い込んでいて、消したいと考えていたから仕事をがんばろうと思っていました。ところが、ひきこもっていたときにネットで得た知識が仕事で役立ったり、誰かに言葉を届けることができたりしているので、黒歴史だけじゃなかったんじゃないかなと思えるようになりました。

中川翔子さん
「働きなさい」と強く言うことはなかった友だちみたいな母親も「隣る人」だった

誰かの光になる言葉を見つけられるかもしれない

――マインドセットできたのは、中川さんの内からふつふつと湧いてきて成されたものですか、それとも周囲の人たちによって変わってきたものですか。

ありがたいことに、さまざまな周囲の人たちによるものだと思います。20代前半は、つらかったことを帳消しにしようと悔しさとかで燃えていました。20代後半になってきて、つらかったことが必ずしも無意味でなく、誰かの光になる言葉を見つけられるかもしれないと考えるようになってきました。30代になってから心が軽くなったり、何かすることが遅いってことはないと思えたりするようになりました。
今も日々試行錯誤していて、落ち込んでいても仕事に行かなくてはいけないときは大変です。すごく不器用なのでコロコロ転がっている感じです。

難しい大人の距離感

――中川さんを理解してくれる「隣る人」は、20代、30代と年齢を重ねるにつれて増えてきましたか。

大人の距離感は難しくて、信用して話をしたけれど別のところでその話をされてしまったこともありました。今は10歳ぐらい下の友人がいます。話を聞いてくれたり、一緒に泣いてくれたりする友人です。大人になってから出会った人で年齢は関係ないと思いました。

中川翔子さん
私も誰かの「隣る人」になりたい

希望を見つけるのは大変だけど、しんどいときは立ち止まろう

――中川さんから20代、30代の方たちへのメッセージをお願いします。

20代になって、楽しかった時期もあれば、焦った時期もありました。30代になってみたら、うれしかったり、楽しかったりすることがすごく多くなってきました。けれど、傷ついたときの立ち直り方がわからなかったり、悩んだりしたこともあります。
希望を見つけ続けることは大変だけれど、本当にしんどいなら立ち止まることも大事だと思います。私も誰かに「隣る」ことができたらなと思います。

支援・居場所……みなさんも何かできる

――当事者や家族は、ひきこもりについて深く考える機会がありますが、社会の理解は十分とは言えません。社会の人たちへのメッセージもお願いします。

ひきこもり状態にある人たちへの支援や居場所は増えてきました。みなさんも何かできると思います。そして、何よりもひきこもり状態にある人たちを責めすぎずに「隣る」ことを続けて欲しいです。

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中川翔子さん

PROFILE

中川 翔子(なかがわ・しょうこ)

1985年生まれ。歌手・タレント・声優・女優・イラストレーターと活動は多岐にわたり、多数のバラエティ番組に出演。2021年10月からはTVドラマ「婚姻届に判を捺しただけですが」(TBS系)に出演。著書にいじめやひきこもりの経験をつづった『「死ぬんじゃねーぞ!!」いじめられている君はゼッタイ悪くない』。

CONTENTS

東京学芸大学准教授 福井里江さんに聞きました(パート1)

東京学芸大学准教授 福井里江さんに聞きました(パート2)

ひきこもりUX会議代表林恭子さんと参加者の方々に聞きました

(株)「ウチらめっちゃ細かいんで」の佐藤啓さんに聞きました

ワーカーズコープ連合会の岩佐哲也さんに聞きました

まだ支援にたどり着けていない当事者への伝え方、聞いてみた

ひきこもり当事者が支援に関わることの意味について聞いてみた

NPO法人 楽の会リーラ代表市川乙允さんに聞きました

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