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海谷一郎さんからあなたへ

ひきこもり状態になる前に「戻る」んじゃなくて「変わった」という感覚 カヌー冒険家がカナダ・ユーコン川で得たもの

海谷一郎さん
栗山川をカヌーでいく海谷一郎さん

「極北専門のカヌー冒険家」とし--て活動する海谷一郎さん(51)に、20代の約10年間にわたるひきこもり状態のときのことやその後の人生について、千葉県の栗山川でインタビューしました。体が少しずつ動くようになってからカナダの大自然に向かい、心身を整えながら、現在は介護施設で働いています。ひきこもりの状態にある人を含む、生きづらさを抱えている人たちをしっかりと受け止める社会をつくっていくためにどうすればいいのか、一緒に考えてみませんか。

長時間の通学による疲労困憊がきっかけでひきこもり状態に

――カヌーで冒険を始めたきっかけを教えてください。

20代のころ、ひきこもり状態でした。体調がすぐれず、何もやる気が起きませんでしたが、少しずつ体調がよくなってきたころにアルバイトを始めました。倉庫作業です。そのとき、倉庫に出入りする女性に恋をして、告白したら見事に振られました。それで旅に出ようかなという気持ちになっちゃったんです。ひきこもっていたとき、カヌーイストの野田知佑さん(故人)の著書をよく読んでいました。野田さんも書いていたカナダのユーコン川に行ってみようかなと思ったんですね。

――なぜ、ひきこもり状態になったのでしょうか。

通い始めた大学が家から片道3時間ぐらいかかりました。満員電車で通学しているうちに、心身ともに疲労し切っちゃったという感じです。疲労困憊(こんぱい)で、数ヶ月で行かなくなってしまって。

――ご家族は心配されませんでしたか。

心配かけましたね。家族も様子がおかしいのは勘づいていたらしくて。『なんで大学に行かないんだ』とはいわれませんでしたが、『医者に行こう』とはいわれました。

海谷一郎さん
高齢者のデイサービスで働くようになり、利用者の方々に覚えてもらうため特徴的な髪形に変えた

せめて人並みの生活が送れるようになりたいと焦り

――当時の心境はどういう感じでしたか。

何も考えられなかったですね。ただ、焦りがありました。せめて人並みになりたい、人並みの生活が送れるようになりたい、と痛切に思っていました。近所の幼馴染みが結婚したとか、就職したとか、母親からそういう会話が聞こえてくるんですね。そういう話を聞くと、落ち込みました。

――ご家族が『病院に行こう』といってくれたことに対して抵抗感はありませんでしたか。

自分でも調子がよくないと思っていたので抵抗感はありませんでした。元々、高校に入学したころから、周囲に溶け込みづらいところがありました。なかなか友だちができないタイプでした。

――他の人とコミュニケーションをとる機会はありましたか。

ほぼないですね。友だちとの接触もないし、食事は家族と食べていましたがあんまり話しませんでした。時々、家族が祖父の家や旅行に連れて行ってくれていました。

海谷一郎さん
再びカナダやアメリカ・アラスカでの大河をカヌーで下る準備をしている

体が楽になり、心も少し楽になり、釣りに行こうと思って単発バイトをしてみた

――自ら外に出て少しずつ活動するようになったきっかけは何でしたか。

薬の効果かは分かりませんが、体が楽になった分、心も少し楽になっていったのかなという気がします。じゃあちょっと単発のアルバイトでもしてみようかなと思うようになりました。コンビニエンスストアに置いてある求人のフリーペーパーで、1週間とかの単発のアルバイトを少しずつ始めました。

――ちょっと働いてみようかなと思うようになったんですね。

釣りが好きだったというのが大きいです。釣り竿を買うにもお金が必要です。ひきこもっている間も、釣りには行きたいなとぼんやり思っていましたし、釣り番組は見ていました。単発アルバイトをして、釣り用具を買って、自転車で釣りに行くという感じでしたので、釣りをやっていなかったら、さらに10年ぐらいひきこもっていてもおかしくなかったと思います。

海谷一郎さん
カヌーでユーコン川を下る海谷一郎さん(提供写真)

誰もいないところで自分がどこまでできるか試したかった

――失恋をきっかけに、カヌーの経験がない中でカナダのユーコン川に一人で川下りの冒険に飛び出す決意をされています。

長期で働き始めていたときでしたが、その後に顔を合わせるのもつらいと思って仕事を辞めちゃいました。家族は大反対でしたね。海外旅行も初めてだし、カヌーも乗ったことがなかったので。

――当時の海谷さんとしては、ユーコン川で過ごす時間が必要だと考えていたのですか。

誰もいないところに行ってみたかったんですよね。自分がどこまでできるか、試してみたかったのかもしれませんね。

海谷一郎さん
カナダのユーコン川を下っていたとき、街の人たちと記念写真(提供写真)

地元の人のあいさつから「人間って怖いもんじゃないんだ」と思うようになった

――人が多いところや街ではなく、大自然の中での時間を選んだのですね。

当時はやっぱりまだ人が怖かったし、人嫌いなところがありました。ただ、向こうに行って、そこは変わりましたね。川を下っていって村や町に着いて、地元の方とつたないやり取りをしているうちに変わっていきました。

――なぜ、海谷さんは変わったのでしょうか。

向こうの人はフレンドリーなんですよね。車が寄ってきて、手を挙げてあいさつしてくるんです。最初は恥ずかしくて下を向いていたんですけど、こっちも返すと相手もいい顔をしてくれるんです。そういうのを繰り返しているうちに、人間って怖いもんじゃないんだなと思うようになりましたね。

――ユーコン川での経験で大きく変わりましたか。

例えば、川をこぎながら居眠りしてしまったことがあるんですが、風の音や川の音が変わると、ぱっと目が覚めるんです。そういう危険回避を繰り返しているうちに、自分もやれるじゃないか、自信になっていきました。

――ユーコン川には1回でなく、翌年も行っていますね。その後は、アラスカなどもカヌーで旅をしています。

1年目は1カ月で1500キロ下りました。河口まであと1500キロ残っていたんです。帰ってきたときには、とりあえず来年も行こうと決心していました。それはサラリーマンをしていたら難しいので、またアルバイトを始めました。2年目は3カ月行きました。

海谷一郎さん
カナダのユーコン川でキャンプする海谷一郎さん(提供写真)

癒やされる自然ではなく、自分がチャレンジしていることへの充実感

――川を下っているときは、どんなことを考えているんですか。

1年目は結局、失恋した女性のことばっかり思っていました(笑)。残念な気持ちを引きずっていましたね。2年目はそれがなくなって、過去の人生を思い出すことが多かったです。嫌なことを思い出して、誰もいないから「うわー」とか声に出しながら下っていました。

――それを自然が癒やしてくれたという感覚でしょうか。

いやぁ、向こうの自然は「癒やされる自然」ではないんです。真夏にひょうが降るし、雨が降れば冬の寒さになることもあるし、向かい風が吹けば風に向かってずっと漕ぎ続けなきゃいけないし……。癒やされたというより、チャレンジしたっていう感じです。向こうでは、大自然の中に入ったら常に全力でいないと生きていけないですから。何もかも自分で責任を取って、自分で判断をして、の繰り返し。それがとても気持ちよかったんですね。充実感があって、生きてるなっていう感じがしました。

――日本に戻ってからも、コミュニケーションが苦ではなくなりましたか。

釣り場で通りがかりのおばちゃんに挨拶してそのまま話し込むこともあります。そういうことができるようになったので、どちらかというと人よりもコミュニケーションが得意になったと思います。

海谷一郎さん

ひきこもり状態になる前に「戻る」んじゃなくて「変わった」という感覚

――海谷さんからすると、それはひきこもり状態になる前の自分に戻ったという感覚ですか。

戻るんじゃなくて、変わったと思います。以前は、人が嫌いだし自分のことも嫌いでした。ユーコンを経験して、自分は自分でいいんだとか、自分以上になることもないし自分以下になることもないんだ、という気になりました。倉庫業で仕事をすることも面白かったんですけど、人と接する仕事の方が面白いなという気になってきて職を変えました。今は、高齢者のデイサービスに勤めています。

――現在は、ストレスを感じたり、生きづらさを感じたりすることはないのですか。

あるにはあるんですが、気にしないようにしているというか、「ま、しょうがないよね」とスルーしている感じですね。例えば、今の時代って、ちょっと不寛容だったり、それぞれの正義を振りかざしたりするところがありますよね。でもそれは一部の人間だからしょうがないよね、と考えるようにしています。そこを気にしちゃうと本当に生きづらくなってしまうので、見えてはいるけど気にしない。人間って愚かな部分が90%だと思うんですよ。まともな部分が残りの7%ぐらいで、利口なところは3%ぐらい。その3%の中で、すてきなことをしたり、人の心を打つようなことをしたりすることがあるから、なるべくその部分を見るようにしています。

海谷一郎さん

話したことをすぐ否定せずにとりあえず受け止めて

――ひきこもりの状態にある人たちに周囲の人が声をかけようというとき、どうアプローチすればいいと思いますか。

お説教や説得は、やめた方がいいと思います。あなたは間違っているから、私が正しい意見をいいますよ、という上から下への圧力になってしまうので。それより、同じ目線に立った対話をしたほうがいいと思います。(ひきこもり状態ではなくなった後に)傾聴ボランティアをやった経験からしても、心理的安全性が大事だなと思います。自分の話したことをすぐ否定されたら、話す気がなくなりますよね。とりあえず受け止めてあげる姿勢が大切なんじゃないかなと思います。

――最後に、ひきこもり状態にある人たちへのメッセージ、ご家族へのメッセージ、地域社会へのメッセージをお願いします。

どの立場の方へも同じメッセージになるんですが、人生って実は失敗が90%以上だということを、みんな忘れてしまっていると思います。

人間って、生まれていきなり立つ人もいないし、いきなりしゃべれる人もいない。みんな転んで転んで転びまくって、10回中9回は転んで、やっと立てるようになる。そういうことを繰り返して生きてきているわけですから、人生の本質の90パーセントは失敗だと思うんです。その失敗にフォーカスするんじゃなくて、できたことや成功したことにフォーカスしてあげてほしい。誰だって人間なんだから失敗するよね、という態度でいることが寛容な心を生んで、不寛容な世相や状況も変えてくれるんじゃないかなという気がします。

他人からしたら小さい失敗に見えても、本人にとっては大きな失敗だったりしますから。そういうところをもうちょっと受け止められるようになって、ダメな部分も愛そうよ、ということを広めていきたいですね。

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PROFILE

海谷 一郎(うみたに・いちろう)
カヌー冒険家

1972年生まれ、千葉県在住。大学生時代から約10年間、ひきこもり状態に。体調が回復した後、アルバイトとカヌーによる極北の地を単独行している。極北のカヌー冒険は、新型コロナウイルス感染症のパンデミックで中断。現在は、デイサービスに勤務しながら、週末はカヌーで海釣りを楽しんでいる。海谷一郎冒険事務所代表。

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